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2006年10月21日

毎週水曜日、大阪尼崎が熱い!

先々週、第7回エミダスだよ!全員集合!!が無事、幕を閉じました。
サンバーダンサーズ「サウーヂ」と製造業界の歌姫野島恵美、そして恒例となりました製造業感動映像によるオープニングライブ・交流会での「製造業クイズ王」などなど、いかがでしたか?
悪天候の中、ご来場いただいたみなさま、本当にありがとうございました!
また、来年もみなさまにお会いできる事を楽しみにしています。

さてさて、みなさまお久しぶりです。
最近は西日本方面に出かける機会が多い金澤です。
色々みなさまにご紹介したい旅の珍道中話がたくさんあるのですが、最近特に大阪尼崎が熱いんデス!

10月11(水)から、尼崎商工会議所主催 「経営革新塾~中小製造業のための経営活性化セミナー~」 がスタートしました。
毎週水曜日、全7回に渡る、当セミナーのコーディネートに仰せつかったNCネットワークが、講師・視察先の選定や集客そしてセミナーの進行等をお手伝いさせていただいています。

定員30名という小規模セミナーですが、毎回講師のみなさまの経験に基づいたリアルな成功・失敗談や白熱した質疑応答タイム。会を重ねるごとに盛り上がる経営革新塾は参加者のみなさまの熱い熱いモノづくり魂&経営魂を感じ、我々スタッフも一層、力が入ります!

NCネットワークでは経営革新を行う中小製造業の成長過程には一般的に「技術力」・「営業力」・「ブランド力」という3段階のステップがあると考え、どのステップにいるか自社を分析することで経営革新に取り組む具体的な方向性が変わってくると考えています。
※エミダスマガジンVol.11(秋号)で詳しく・わかりやすくご紹介しておりますのでご覧ください。
その様々なステップ(時期)を向かえ、幾度の経営革新に取り組み成功している企業7社を選定したのが今回の経営革新塾になります。

10月11(水)第一回目は東海バネ工業株式会社 ばね部門営業Gr.渡辺 秀治氏をお招きし東海バネさんが実施するIT経営と企業の高付加価値についてお話をいただきました。

東海バネさんは量産化が業界トレンドの中、ITを活用した多品種微量生産体制の下で様々な種類の特注バネを製造し、大きな成功を収められている企業です。
その背景にはインターネット受注と効率的な生産システムの構築にあります。
ITの活用により、ネットからの受注額を伸ばしておられるのですが、ITマーケティングの手法やITを活用した社内の情報共有などなど、実例に基づいたお話は、参加者のみなさんに大好評でした!


経営革新塾では毎回講義終了後に必ず参加者のみなさまにアンケートをお願いしています。
この意図としては、会場で質問しにくい内容や我々事務局への要望、経営者が抱えておられる悩みや課題を次回以降のセミナーで解決していくということに繋がります。

そして第一回目のアンケートで多かった要望「人材育成・教育」について、第二回のプログラム中田製作所中田社長の講義に盛り込んでいただく事になりました。

10月18(水)第二回目は株式会社中田製作所 代表取締役 中田 寛氏
中田社長は現在中田製作所の2代目。しかしそれ以前は銀行マンという全く異業種からこのモノづくりに携わりました。(銀行マンになったのも実は日本のモノづくりを支えたい・助けたいという熱い思いがあったからなんです)
入社当時から社長になるまで、そして中田製作所の社長として中田製作所の発展と従業員のみなさんの幸せを実現するために取り組んだ教育方針や二代目のご苦労を語っていただきました。
やっぱり中田さんは熱い!!!

中田さんとは最近毎週の様に顔を合わせる機会があり、先日も高松のユーミック上村さんからのご依頼をいただき、高松の企業の皆様向けに講演をしてきました。
中田さんとはそれまでほとんど飲み会でしかお会いしたことがなかったのですが(飲んだ回数は数え切れません)、その時はじめていつもの中田さ~んとは違い「中田社長」を目の当たりにしました。
今の私にとって中田社長は尊敬すべき人なのです。(今更ですが。。。)

少し話がそれてしまいましたが、そんなこんなで今、大阪尼崎が熱いのです。
そして次回第三回目は三重県四日市にある株式会社伊藤製作所 伊藤社長による講義です。
またあのマジックが見れるかも!!!

経営者のみなさんは様々な悩みや経営課題を抱えておられます。その悩みや経営課題を時にはみんなで共有し、また成功企業においては、もちろん失敗経験もあり、それらを挑戦する製造業のみなさんと共有しながら解決し成功への第一歩を踏み出すためのお手伝いができればと思っています。

今後のレポートもぜひご覧ください!

21:49 | コメント (0)

2006年10月16日

NCN創世記弟13話・・・つのぴーの巻

壮大な事業計画を遂行するためには、人材が必要となった。
そこで、まずWebにはスタッフ募集のページをつくった。
この頃はIT企業ということで結構、募集があった。

安井さんは、ニチメン出身であるが、もう一人ニチメン出身でNCネットワークに入りたいという男が現れた。ニチメンという会社は変わり者が多い、と思ったものである。

tsunoda.jpg
角田洋晴(38)
慶応大学プロレス研究会出身
趣味 F1、サッカー、浜田省吾、最新ハードウェア購入、TV鑑賞・・・

NCネットワーク最大のオタクが現れた。
僕もオタクだが、この男には負ける。
A型のしつこさである。
大学でプロレスをやっていたり、サッカー観戦、F1観戦をしたりなど、一見オタクに見えないが、まぎれもないオタッキーである。

角田「いやぁ~、内原社長、お会いしたかったです。3ヵ月後、頑張りますので、よろしくお願いします。
NHK見ましたよ。すごいですね。これからはインターネットですよね~。アメリカ駐在時に初めてNCネットワークを知ったんですが、これだ~っ、と思いましたよ。これぞBtoB。最高です。アメリカではプラスチックの仕事をしてました。いやあ、サンディエゴはいいところですよ。まだ、商社での仕事が残っててすみません。来月から中国で残りの仕事を片付けてきますから、もうしばらくお待ちください。
よろしくお願いします・・・・」
内原「・・・・・」
満面の笑みを浮かべて丸い笑顔で、がんがんしゃべる。
またしても個性集団「NCネットワーク」に強力な個性の男が登場した。
角田は後に「つのぴぃ」と呼ばれ、会員のみなさんに絶対的な信用を獲得する。

加工事業部が出来たのは、つのぴぃの努力の賜物だ。
その頃のNCネットワークはWebでの事業が中心で、図面取引を行うことは考えていなかった。

某自動車メーカーから、NCネットワークに興味があるので会いたい、という依頼があった。
この案件は、つのぴぃが担当することになった。
自動車メーカーからの依頼は、某新商品の部品製作の一部を手伝って欲しいという依頼である。
急ピッチで製作が進められているが、従来の協力工場だけでは納期的に間に合わなかったり、
小ロットであるために価格的に折り合いがつかない、と言う。
そこでNCネットワークの町工場に発注してみたら、どうか?というアイディアが浮かんだのである。
つのぴぃは会員の中で、ゴム、プラスチック、板金、金型、切削などの企業を選抜して
自動車メーカーさんを会員各社に工場見学に連れて行った。

メーカーさんの反応は上々で、各社ともその後、某自動車メーカーとの取引を開始することになった。

そこで仲介役に立ったつのぴぃの仕事振りは、商社マンの面目躍如であった。
某自動車メーカーの購買の方と浜田省吾で意気投合したり、
協力工場とは、F1、サッカー、宴会で盛り上がり、
どんどん取引の輪を広げていった。

安井さんとは、また違ったやり方でビジネスをどんどん広げていった。
つのぴぃは、入社後2年で取締役に就任した。

つのぴぃと工藤純平は、論戦を取締役会で展開することになる。
NCネットワーク最大の理屈屋つのぴぃも工藤純平と戦うことになるとまた、話は別である。
角田「いやぁ、純平さん、それは理屈には合わない気がしますがねぇ」
工藤「xxxテクノロジーのxxxxが日経ビジネスでxxxと発言してたから、間違いないです」
角田「それでぇ、純平さんはいくら稼げるんですかねえ?」
工藤「そりゃあ、やってみないとわからないっすよ。わかってたら誰でもやるっしょ」
角田「でもねぇ、理屈がしっかりしてないと、やっても無駄でしょう?」
工藤「行動あるのみ!」

工藤純平に理屈は通じない。
取締役会は、杉浦元、工藤純平、角田洋晴の3人がゴジラ対ガメラ対キングギドラのような
3大怪獣総進撃の様相を呈していく。
理論派 つのぴぃ
行動派 純平
頑固派 スギ
この頃の取締役会は意味もなく、ながーい時間になることが多かった。

内原「その話はそこまでにして、次の議題に行こうか?」
角田「ちょっと待ってください。ちょっと~、気になるんですよねぇ・・・」
と始まったら運の尽き。
それから30分。つのぴぃが納得するまで取締役会は、延長となる。

みんなとことんやらないとすまない性格である。
そこで、僕としてもへたに打ち切らず、議論を続ける。

この頃から工藤純平は取締役会を経ず、ビジネスをスタートしてから、
事後報告という手法を覚えていく。

NCネットワークではとことん議論し、論戦しても翌朝はお互いにゼロに戻り、
仕事をするという暗黙の了解がある。

論戦を繰り広げた二人ではあるが、お互いのことを尊敬し、ライバルになっているのを見ているのは
おもしろくもあり、素晴らしいのである。

次回・・・誰を書こうかな・・・

09:47 | コメント (0)

2006年10月08日

馬鹿はどこまでいっても馬鹿なのか?

よく他人から馬鹿と言われるオレ。
初対面のクラブのお姉さまに馬鹿と言われるオレ。
18歳のキャバクラの娘にまでも馬鹿呼ばわりされる。
どうも、人から馬鹿と呼ばれ易いらしい。

ちょっと他人より、下ネタが多く、ちょっと他人より、いやらしいだけなんだけど。

馬鹿は度を越えても尊敬されずに馬鹿のままらしいことを昨日、発見した。
昨日は、娘の幼稚園の運動会。
早朝(5時30分)より場所取りで正門前に並び、7時からは、ほかの父母の会の役員さんや先生達といっしょにグラウンド整備だ。グラウンド整備では、数少ない男手なので、砂運びをやらされた。おかげで今日は身体中痛い。

ちなみに、幼稚園の先生から「パパ」と呼ばれているオレ。

最初は、娘の名前のあとにパパをつけて、○○パパだったのが、いつのまにやら、ただのパパ。
娘の幼稚園の先生って、21歳から30歳くらいの独身女性が10人もいるのだが、この先生たちが、オレのことをみんな、パパと呼ぶ。そのうち、父母の会の役員さんたちもパパと呼ぶ。

「パパ、ここにも砂持ってきて」
「パパ、こっちが先」
「パパ、もっとちょうだい」
「パパ、・・・・・」
「パパ、・・・・・」

パパ、パパと呼ばれて、有頂天のオレだったが、さすがに最後には
「おまえらな、嫁入り前の娘が、男性のことを 「パパ」 って読んでると誤解されるぞ」
って言ってやったが
「だって、パパじゃない。うれしいんでしょ、パパって呼ばれて」
って痛いところを突かれるわけで。
おかげで、一輪車での砂運びを往復50メートルくらいのところを15往復も させられた。

ここからが本題だ。
実は、今度の運動会が地元での最後の運動会。
来年からは、都内有名私立小学校へ通う予定の娘に合わせて、都心へ引っ越す我が家。
オレの両親、一度も孫の運動会なんて来た事無かったけど、
(オレのも来ていない、特に親父は一度も来た事無い)
「見られるの、最後かもよ」
って言葉につられて、初めて見に来たのだ。
オレのジジ、ババと女房殿のババ。
それに我が家3人。
「誰が6人分のお弁当つくるの?」
って、にらむ女房殿。
「ママじゃないの?」
って、怯えるオレ。
「そんなの、つくれるわけないじゃない」
って、すごむ女房殿。
「じゃあ、どこか つくってくれるところを探しておくよ」
と言って、その場は誤魔化した。

先週、よく行く近所のホテルの鉄板焼屋で、ごはん食べているときに、閃いた。

オレ:店長、来週の土曜日、幼稚園の運動会なんだけど、肉焼いてくれない?
A店長:娘さんの幼稚園の運動会ですか?運動会で肉焼いちゃ まずいでしょ
オレ:まずくないだろ、外だし。問題ないよ
A店長:前例ができちゃうと、あとが大変だから、勘弁してくださいよ。でも、寿司だったら にぎれるんじゃないかな?
オレ:そうか、寿司がいいかもな。テレビでもよく久兵衛なんかが、スタジオで にぎってるもんな。寿司屋の店長、呼んでおくれ
B店長:伊集院社長、何か御用ですか
オレ:来週の土曜日、娘の幼稚園の運動会なんだけど、出張で寿司にぎってくれない?
B店長:幼稚園の運動会ですか?そりゃあ、無理ですよ
オレ:そんな簡単に言うなよ。きっと他の人にも売れるぞ
B店長:そんなの保健所にバレたら、営業許可無くなっちゃいますよ。普通のお弁当じゃダメなんですか?
オレ:普通の弁当じゃつまんねえだろう
B店長:じゃあ、5段重ねなんて、どうですか?
オレ:5段重ねって目立つかな?
B店長:そりゃあ、目立ちますよ。でもウチの店じゃ、ちらし寿司ぐらいしか弁当つくれないから割烹ですよ。割烹の店長、呼んできます
C店長:伊集院社長、お弁当ですって。大丈夫ですよ。いくらでもつくりますよ。
オレ:やっぱ、C店長だよな。頼むよ、すごいの。5段重ねで。
C店長:予算はいかほどですか?
オレ:どうかなあ、6人だからなあ、3万円くらいでどうだ?
C店長:3万円ですか?
オレ:なんだよ、足りねえのか?
C店長:いや、何を入れれば、3万円の弁当がつくれるのかと思って
オレ:なんでもいいじゃん、頼むよ。豪華な奴。
C店長:了解しました。お届けは、ウチじゃ人手が足らないので、ホテルの営業を行かせていいですか?
オレ:うん、いいよ。

ということで、お昼に5段重ねが届いたのだ。
一番上には、これでもかというほど、メロンやら、ぶどうやら、木の実だとか、和菓子だとか、デザートが詰まっている。
2段目には、おにぎり、太巻き、おいなり
3段目には、でっかい鯛や魚の焼いたもの等々
4段目には、エビフライ、ステーキ、ハンバーグ等々
そして5段目には、あわびのステーキやら、いろいろ細々と収めてある。

食べ始めて、すぐに周りから
「伊集院さん、豪華ですねえ」って声。
オレのジジ、ババも
「おまえ、この弁当いくらだ。なんで、幼稚園の運動会のお弁当で、あわびのステーキなんだ」
って疑いの眼差しだ。
「いいんだよ、たいした金額じゃねえよ。うんとサービスするって言ってたから、そうしたんだろ」
って弁解もジジ、ババたちに届きそうに無い。
それにしても、「焼うに」だとか、「からすみ」って弁当に入れるか?ってさすがのオレも不安になった。
怒り120%の女房殿に
「パパ、これいくら?」 って聞かれて
「3万円。高すぎかな?」 って素直に答えるオレ。
「来月のお小遣いから3万円引いとくから」 って冷静な女房殿

結局、ぜんぜん食べきれなくて、周りに振る舞い、振舞う度ごとに
「伊集院さん、すごい弁当ですね」 って呆れ顔で見られるオレ。
なんだかなあ、どうせ、馬鹿だよって納得した1日だった。

来月、本当にお小遣いを減らされるオレ。
内原よ、おごっておくれ。

13:04 | コメント (0)

2006年10月07日

咽喉に刺さった小骨

咽喉に小骨が刺さったようなという表現をすることがある。
小さなことなんだけど、それが気になって、気になってということがある。
小心者のオレもそんなことがよくある。
実は、1月から10ヶ月もの間、我家は、咽喉に小骨が刺さった状態だった。

お受験もいよいよ本番だ。
早い学校では、親子面接も始まっている。
そこでオレは、意を決して咽喉に刺さった小骨を取りに行くことにした。

 九州まで しかも日帰りで

我家の咽喉に小骨が刺さったのは、今年の正月だ。
家族旅行で、九州へ行った際に、太宰府天満宮でお受験合格のお祓いをしてもらった。
そのとき、合格祈願の絵馬も書いた。
問題はそのときに起こったのだ。

ふんふん、ふんふん って感じで、ささっと 
○○女子学院 とか、○○○○女学院とか、書いていたのだが、横から女房殿が
「あっ、パパ、漢字が違う」
「あっ、そこは小学校じゃなくて、初等科だよ」
「もう、そこは 女子学院じゃなくて、女学院」

そう。絵馬に書いた学校名が、ことごとく 間違っていたのだ。
あんまり、言われるので、逆切れしたオレは
「えっ、どこが違うって。こう?違う?じゃあ、こうか?」
って、塗りつぶしては、書き。塗りつぶしては、書きしているうちに、絵馬は真っ黒になってしまった。
挙句の果てに
「馬に漢字なんか読めやしないんだから、いいよ、ひらがなで」
と言いながら、絵馬の端のほうに、ひらがなで学校名を書いておいた。
(注)この時点では、2校しか想定していなかったのだ

それからの、10ヶ月というもの、何かにつけては
「お受験落ちたら、パパの書いた絵馬のせいだからね」
と、いじめのように言われ続けたオレ。
娘にも
「私がこんなに頑張っているのに、落ちたらパパのせいだよ」
って言われるオレ。

そこで、絵馬を書き直しに行きましたよ。
太宰府まで
ひとりで
日帰りで
往復9時間かけて

太宰府天満宮に着くなり、絵馬を7つ買い求めた。
7校受けるので、ひとつづつ書くことにした。
女房殿に電話でそう告げると、無駄だし、もったいないからまとめて書けばって言われたが
もったいないとか、無駄とかって 絵馬を書きに来ていること事態、無駄じゃないのか。
でも、絶対こんなこと言えないオレ。

今度は、間違えないようにと、手帳を出して ちゃんと書いた。
漢字も、学校名も完璧だ。
よ~し と思って、絵馬を掛けに行って、なんか違うと思った。
掛けてある絵馬のどれを見ても、
「○○に合格しますように」 とある。
オレの書いた絵馬は、 「○○に入学できますように」 だ。
だんだん不安になってきたオレは、またも巫女さんのところへ行った。
「絵馬、7つください」
そう、小心者のオレは、「○○に合格できますように」 と書いた絵馬も掛けてきた。
つごう、14枚だ。これだけ書けば、わざわざ来た甲斐もあるってもんだ。

やっと、小骨が取れてせいせいしたが、ずいぶんと高くついたものだ。

でも、あれだな。
福岡、好い女、多いなあ。
なんかみんな、スタイル好いし。
合格したら、こんどこそ 1泊で来よう。
数年ぶりに中州で飲もう。

それにしても疲れた。
実は今、幼稚園の門の前
今日は運動会で場所取りで並んでいるのだ。
ほかのお父さんからは、
「どうして、会長さんが並ぶの?」
って言うから、
「いやあ、僕だけ会長だからって好い場所取っちゃうと問題でしょ」
って言いながら、おめえらが後からクレームつけるから特権が無くなっちゃったんだとは、言えないオレ。
さあ、門が開く。走るぞ。

19:00 | コメント (0)