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2011年11月20日
エヌシーネットワークベトナム大塚 タイ訪問記 2011年11月 (海外視察・展示会~東南アジア)
NCネットワークベトナム 大塚です。(ハノイ駐在し、早1年が過ぎました)
皆様ご存知の通り、この数年は100年に一度の大不況、
1,000年に一度の大震災と、日本を大きく揺さぶる出来事が立て続けに起きています。
国内の状況もやはり変化し、海外展開のニーズも増えてきているなと思っていた矢先、今度はタイでの大洪水。
11月29日の弊社主催、第12回 エミダスだよ!全員集合!!でもテーマに挙げていますが、
「経営の危機管理」の見直しを真剣に考えておられる経営者の方々も多々いらっしゃることと思います。
「挑戦する製造業のために」をスローガンとしている弊社としても、
いかに皆様のサポートをしていくか、これから真に求められるのだと思います。
さて、タイ。
上記の事に思いを巡らせていた私ですが、タイの洪水被害のニュースを見るものの、
被災された方々に一体どういった取り組みが喜んで頂けるのか、いまいちピンと来ない。
そこで「よし、今のタイを見に行こう」と思い立ち、瞬間、ホーチミン、バンコク周遊出張のため
航空券予約のボタンをクリックしていたのでした。10日(木)の事でした。
【タイ初日。違和感】
ハノイを12日(土)に出発。
ホーチミンを訪れた後、バンコクに着いたのは14日(月)の夜。
空港からホテルへ向かう電車の車窓から見るバンコク市内はまるで東京のよう。
ビル明かり、車、人。普段、ハノイで生活している私からすると目を見張るほどの発展都市。
しかし、電車を降りて少し歩いたところで気づく違和感。
「あれ?今、タイって洪水被害にあっているんだよな?」
バンコク市内は、通常の月曜日の夜。
ところどころ軒先に土嚢を並べた建物を見かけるものの、無被害。
テレビやインターネットの報道を受け少し身構えていましたが、やや大業だったようです。
そんな事を考えつつ、夜遅かった事もありホテルにチェックイン後、就寝。
写真1. バンコク市内、土嚢を積んだ建物
【タイ2日目。北へ】
13日(火)、午前中に現地駐在の日本人の方とミーティング。
タイの現状、被害の状況などについてご説明頂きました。
思い立ってすぐ来たため下調べも不十分だった私は、
バンコクから見て東南方面は水害が無いということすらその時に知りました(お恥ずかしい限り。)
写真2. 事務所にかけてあった写真
洪水の様子を見るためには、電車で終点のMo Chit駅まで行けば良いとの事。
地図で見てみると、バンコク市内からもさほど離れていないところ。(5kmほどでしょうか?)
2日前までは、そこまで水が来ていたそう。まずはその駅まで行ってみる事に。
Mo Chit駅に着いてみると、土嚢などは積んであるものの洪水被害の気配は皆無。
北に向かって目を凝らしても、目にするは近代的な高層ビルと綺麗な青い空。
洪水被害。にわかには信じられません。
しばらく眺めていても何も分からないため、タクシーで北を目指す事にしました。
写真3. Mo Chit駅からの風景
「北には向かえない。」
止まっていたタクシーは皆、渋ります。
英語がなかなか通じず苦戦する私を見かねたのか、現地の方が声をかけてくれました。
ミスター・アート。タイの報道ディレクターで、洪水の地域まで取材に向かう道中。
「私のお客様にどのようなサービスが提供できるのか、現場を見に来た」と伝えたら
「よっしゃ、ついといで。」と言うが早いか、トラックをヒッチハイク。
私はアートさんの電光石火の早業のおかげで、停車したトラックの荷台に乗ることが出来ました。
トラックの荷台には人が沢山乗っています。今や、これらのトラックが公共交通機関なのでした。
写真4. トラックの様子
写真5. ミスター・アートとの出会い
写真6. トラックをヒッチハイク
【洪水被害】
トラックに乗り込み、走り始めて数百メートルでしょうか、
ものの数分走ったところで、洪水被害のエリアに入りこみました。
高く伸びたビルと都市の象徴、高速道路の高架。
しかしひと度目線を下げると、くるぶしの高さまでの濁水が辺り一面を覆っていました。
写真7. 洪水被害のエリアに入る
トラックはさらに走り続けます。
道中、即席のバス停ならぬ、トラック停に出くわします。
背の高いトラックの荷台から乗り降りするため助け合う人々。
その顔には笑みをたたえていました。微笑みの国の鱗片です。
写真8. 停留所の様子(バス停ならぬトラック停)
5kmも走ったでしょうか。
いつしか、先ほどまではくるぶしの高さであった水深が腰の高さにまで及んでいました。
ここで、アートさん。
「もうすぐジャンクションに着く。そこだったら容易に引き返す事が出来るよ。どうする?」
逆説的に、この先の状況の厳しさを伝えてくれました。
私は装備も不十分であり、これ以上行くと周りの方に迷惑をかけるであろうと考え、引き返す事にしました。
アートさんはゴムのスーツを身に付け、防水対策万全なのです。
周りの人々も皆、少なくとも長靴を履いていました。
写真9. 洪水の街の様子。あちこちにあるセブンイレブン
写真10. 洪水の街の様子。ボートに乗っている
写真11. ミスター・アートの装備
【帰路】
停留所に降り立ち、帰りのトラックを待ちます。
その間、今回の体験について思いを巡らせていました。
災害の渦中にある人々がたくましい。笑みを絶やさず、助け合いを忘れない。
ある停留所では、コメディアンと思しき2人組が、マイクを片手に人々を笑わせていました。
また、膝まで水に浸った状態でそれでも食料品を販売する屋台のおばちゃんもいました。
自分は腰まで水に入りながらも人で満員のボートを押すおじさんも見かけました。
都市が浸水している。その光景は忘れられません。
しかし、前向きな優しさと希望を強く感じました。
事実、私を世話してくれたアートさんも、自宅が床上浸水の被害にあった一人です。
「行けばなんとかなるか」と甘い考えで現場に立った自分に恥じ入るばかりでした。
大きな懸念も感じました。
バンコクからほんの数キロの地点でさえ腰までの浸水です。
さらに北上した工業団地の状況はいくばくか。
行き交うトラックにはちらほら、日本の企業の作業服を着た日本人の顔も見えました。
この方々はどのような思いでさらに北へ向かうのか。
路面の水をどのような気持ちで睨むのか。
トラックが、駅のそばの停留所につきました。
人々が続々と荷台から吐き出されます。
お祖父さんがはしごをゆっくりと降りてきます。若者がそれを手助けしています。
眺めながら、自分は現場に立てたのか?それを考えていました。
そして、現場には立てなかった、そんな思いが強く残りました。
ならば伝えることだと、この文章を書いています。
写真12. 帰りにのせていただいたトラック
私たちエヌシーネットワークは「挑戦する製造業のために」をスローガンにしています。
私は、一人、トラックの荷台に乗り作業着をたなびかせていた人物の姿を、
挑戦する製造業の象徴として胸に刻みました。
私はタイで大きな経験をさせてもらいました。
今度は私たちがタイに何か提供しよう。
ハノイまでの帰路、そのような事を考えていました。
2011年11月20日 14:44
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