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2011年07月26日
被災地は終わっていない (NC社長・内原康雄)
義捐金を出し、物資を送り、生産財も送った。
しかし、現地ではまだまだ、何も終わっていない。
仙台~石巻の被災地ツアーにお伺いした。
仙台空港のそばにある、㈱岩沼精工。
そして、東北地方の最大の津波被害地域、石巻―――
――東和工業㈱、女鹿製作所、㈲新田機械工業、㈱阿部製缶鉄工を訪ねた。
復興地域の会員企業は、現在も復興のために奔走している。
会社によって復興度合いはさまざまだ。
東和工業㈱の小笠原社長と、仙台のスナックに行った。
ママが小笠原社長の顔を見て言う。
「社長、心配していたのよ。xxxさんから生きているというのは
聞いていたけど、どうなったかと思って~」
「大丈夫、大丈夫。社員の中には家を流されたのは4名、親戚となると、
結構、亡くなった人はいるけど・・・」
「でも、よかったわねぇ、命があって」
石巻市では、10万人の人口のうち2000人が亡くなったのだ。
津波に追いかけながら、命からがら逃げたという人も数多い。
橋の上から、船の上から、電信柱の上から、多くの人々が流されて行く
光景を見た話を聞くと、胸が詰まる。
ゼロ歳児の赤子を手の上にあげながら流されて行った親子。
家族5人で車で逃げようとして、奥さんだけが家に財布を取りに
戻ったところに津波が襲来。家族4人は亡くなり、奥さん一人が
家の2階で助かったという話。
東北では、こんな会話が日常である。
お話を聞いた被災地企業の社長は、
「行政はまったく何もやってくれない。
赤十字もどこにお金を回しているかさっぱりわからないし、
融資にしても通常とまったく変わらない。
ともかく、日本の政府はひどい」と仰っていた。
結局は他人事なのだ。
本人が動くしかないのである。
でも、僕らが出来ることはいろいろあると思う。
まずは現地を見ることからだ。
写真や映像ではわからないスケールで、被災地は被害を受けている。
なにしろ、千葉県旭市から岩手県八戸市までの広さで
津波の被害を受けたのだ。
600kmである。
東京~大阪間と一緒だ。
それだけの距離で被害を受けたのだ。
これは、見てみないと実感が湧かない。
被災地ではさまざまな復興活動が行われている。
我々に出来ることは何か?
あまり多くのことは出来ないが、少しは役に立てると思う。
エミダス会員のみなさまには引き続き、生産財の支援活動をお願いします。
2011年07月26日 17:37
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