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2014年04月25日
元サムスン電子 常務取締役 吉川先生の講演
元サムスン電子 常務取締役 吉川先生の講演を聞いた。
吉川先生の経歴は、日立製作所→JFE→サムスン→東京大学院大学(現)。
サムスン電子には、1994~2004年まで、約10年勤められた。
日立製作所時代、1987年からサムスン李健熙会長との交友があり、
何度か誘われ、断っていたが、1994年に了解し、サムスンの常務に就任した。
韓国常駐開始後、サムスンの成長を見てきた吉川先生だが、
サムスンの成長の一番の秘密は、李健熙会長の
「危機意識経営」と唱える。
毎年の年頭挨拶で、李会長は
「10年後、サムスンはないかもしれない」と語るそうだ。
サムスンがなくならないためには、社員の行動力を促すわけだ。
サムスンでは、課長職になる際に1ヶ月の海外旅行を命ぜられる。
ナップザックを背負って、海外に放り出されるそうだ。
必要最低限のお金だけを持って、ホテル等に泊まることは許されない。
これは真のグローバル人財を育てるための仕組みだという。
<グローバル人財>
・どこでも寝れる
・なんでも食べられる
・誰とでも話せる
上記を実施するために、現地で現地の人と現地化することを命ぜられる。
ちなみに、英語がまったく通じない国に行くそうだ。
身体一つで、世界中の人々と交流が出来るようになるための試みだという。
こういったことを実施しているからこそ、下記のような商品が生まれた。
1.イスラム人メッカフォン
2.東南アジア向け 殺虫剤付エアコン
3.イタリア向け ワイングラスを意識した液晶TV
4.インド向け 鍵付冷蔵庫
さらに、日本がサムスンに負けた理由は、
サムスンやLGが、日本の模倣を止めて、
地域に根差した商品を開発し続けるスピードだという。
たとえば、液晶TV。
世界で1500種類以上のアイテムを出しているのがサムスンだ。
日本のメーカーは、せいぜい数十機種が精いっぱいだ。
一方、日本のメーカーが生き残るための方策も
お話しいただいた。
親企業追随型 → コバンザメ戦略(親のいるところに無条件に着いていく)
親を求めて3000里戦略 → 親企業を海外に求める
小山の大将戦略 → 自身がメーカーとなる
そして、グローバルに適応したマーケティングをし、
グローバルに適応した人財を育成 マネージャーでなく
リーダーの育成をすることが重要だと仰っていただいた。
R&Dを中心にしたマザー工場は日本に残し、比較優位に徹する。
それ以外にも、たくさんのヒントを頂いた。
すこし、吉川先生の本を読んでみようと思う。
サムスン、やはりすごい会社にはすごい理念があるのだ、と
あらためて思った次第である。
アップルは尊敬するが、サムスンは、、という人が多い(僕もそうだったが・・・)
しかし、すごい会社は何かがあるに違いないという目で
尊敬をしないといかんなぁ、と思った。
ではでは・・・
2014年04月22日
ハノーバー・メッセツアーin2014
ハノーバー・メッセ出展は3度目である。
1年目は、5号館の奥の方。
2年目は、5号館の真ん中あたり。
3年目にしてようやく、メインストリートに出展できた。
おかげで人通りは大変、多かった。
今年の出展者は下記の通りだ。
アクアシステム株式会社 様
新井工業株式会社 様
MKK 松本興産株式会社 様
株式会社小林製作所 様
ジャスト株式会社 様
株式会社関プレス 様
株式会社東亜鍛工所 様
株式会社中野鍛造所 様
株式会社プロト 様
株式会社丸山機械製作所 様
株式会社ミナミダ 様
今年は、TOA&ARAIの渡部社長が英語でのスピーチにも挑戦した。
打上~。
今年も、Cool JAPAN Technorogy 頑張ってきました。
さて、ハノーバー・メッセが終わると、サーフィンツアーである。
今年は、モロッコに行くことにした。
なぜか?行ったことないからである。
参加者は、ジャスト(株岡崎社長、T工業O社長、(株)野上技研野上社長、
そして、NCNの廣瀬、内原の5名である。
ハノーバーのホテルを朝4時に出発し、6時30分にハノーバー空港出発。
パリドゴール空港で5時間の乗り換え時間なので、
パリの中心にある日本人街に行った。
パリを出発し、カサブランカに着いたのは、夕方5時だ。
さらに乗り換えて、モロッコのアガディール空港に着いたのは、
夜の8時過ぎである。
そこからレンタカーを借りてアパートに着いたのは、
夜の11時過ぎだ。
禁酒の国なので、ハノーバーでクロアチア人に頂いた45°の酒を飲んで、
翌日に備えた。
アパートは、2LKに野郎5人で雑魚寝である。
僕は、4日間、ソファに固いタオルケットをかけて寝た。
そいえば、レンタカーを借りるのに
現金で約50万円の預け金が必要である。
そりゃ、そうだ。
車が盗難されるのが多いんだろうなぁ、と思った。
だって、車を借りて、隣の国に砂漠越しに行ってしまえば
わからんもんなぁ・・・・
翌日から、サーフィンである。
どんな国にもサーファーはゴロゴロいるものだ。
モロッコに来たからといって空いているわけではなかった。
おかげで、僕と野上さんは、他のサーファーから、撃墜を受け、
野上さんは腰、僕は腹に見事な痣が出来た。
しかし、モロッコのサーフィンは楽しかった。
昨年のポルトガルもよかったが、モロッコのイメゾーネという村のスポットは、
廣瀬国松に「人生最高のライド」と言わせる超ロングライドが経験でき た。
野上さんも、岡崎さんもOさんも国松も超ロングライドだが、
僕は、3~5秒でこける。
来年は、ガーナか、セネガルか、モザンビークか?
NCネットワーク・サーフィン部の冒険は続きます。