EMIDAS Bloggo to NC Network

« 2014年03月 | メイン | 2014年05月 »

2014年04月25日

元サムスン電子 常務取締役 吉川先生の講演

元サムスン電子 常務取締役 吉川先生の講演を聞いた。

吉川先生の経歴は、日立製作所→JFE→サムスン→東京大学院大学(現)。
サムスン電子には、1994~2004年まで、約10年勤められた。

日立製作所時代、1987年からサムスン李健熙会長との交友があり、
何度か誘われ、断っていたが、1994年に了解し、サムスンの常務に就任した。

韓国常駐開始後、サムスンの成長を見てきた吉川先生だが、
サムスンの成長の一番の秘密は、李健熙会長の
「危機意識経営」と唱える。

毎年の年頭挨拶で、李会長は
「10年後、サムスンはないかもしれない」と語るそうだ。
サムスンがなくならないためには、社員の行動力を促すわけだ。


サムスンでは、課長職になる際に1ヶ月の海外旅行を命ぜられる。
ナップザックを背負って、海外に放り出されるそうだ。
必要最低限のお金だけを持って、ホテル等に泊まることは許されない。

これは真のグローバル人財を育てるための仕組みだという。

<グローバル人財>
 ・どこでも寝れる
 ・なんでも食べられる
 ・誰とでも話せる

上記を実施するために、現地で現地の人と現地化することを命ぜられる。
ちなみに、英語がまったく通じない国に行くそうだ。
身体一つで、世界中の人々と交流が出来るようになるための試みだという。

こういったことを実施しているからこそ、下記のような商品が生まれた。

1.イスラム人メッカフォン
2.東南アジア向け 殺虫剤付エアコン
3.イタリア向け  ワイングラスを意識した液晶TV
ワイングラス.jpg
4.インド向け 鍵付冷蔵庫
冷蔵庫.jpg

※関連記事はこちら


さらに、日本がサムスンに負けた理由は、
サムスンやLGが、日本の模倣を止めて、
地域に根差した商品を開発し続けるスピードだという。

たとえば、液晶TV。
世界で1500種類以上のアイテムを出しているのがサムスンだ。
日本のメーカーは、せいぜい数十機種が精いっぱいだ。


一方、日本のメーカーが生き残るための方策も
お話しいただいた。

親企業追随型 → コバンザメ戦略(親のいるところに無条件に着いていく)
親を求めて3000里戦略 → 親企業を海外に求める
小山の大将戦略 → 自身がメーカーとなる

そして、グローバルに適応したマーケティングをし、
グローバルに適応した人財を育成 マネージャーでなく
リーダーの育成をすることが重要だと仰っていただいた。
R&Dを中心にしたマザー工場は日本に残し、比較優位に徹する。

それ以外にも、たくさんのヒントを頂いた。

すこし、吉川先生の本を読んでみようと思う。

吉川先生の本についてはこちら


サムスン、やはりすごい会社にはすごい理念があるのだ、と
あらためて思った次第である。
アップルは尊敬するが、サムスンは、、という人が多い(僕もそうだったが・・・)
しかし、すごい会社は何かがあるに違いないという目で
尊敬をしないといかんなぁ、と思った。

ではでは・・・

13:33 | コメント (0) | トラックバック

2014年04月22日

ハノーバー・メッセツアーin2014

 
ハノーバー・メッセ出展は3度目である。
1年目は、5号館の奥の方。
2年目は、5号館の真ん中あたり。
3年目にしてようやく、メインストリートに出展できた。
おかげで人通りは大変、多かった。

今年の出展者は下記の通りだ。

アクアシステム株式会社
新井工業株式会社 様
MKK 松本興産株式会社
株式会社小林製作所
ジャスト株式会社
株式会社関プレス
株式会社東亜鍛工所
株式会社中野鍛造所
株式会社プロト
株式会社丸山機械製作所
株式会社ミナミダ

DSC00451_R.JPG 594_R.JPG

1047_R.JPG 453_R.JPG


今年は、TOA&ARAIの渡部社長が英語でのスピーチにも挑戦した。

打上~。

今年も、Cool JAPAN Technorogy 頑張ってきました。


さて、ハノーバー・メッセが終わると、サーフィンツアーである。

IMG_0557_R.jpg

今年は、モロッコに行くことにした。
なぜか?行ったことないからである。

参加者は、ジャスト(株岡崎社長、T工業O社長、(株)野上技研野上社長、
そして、NCNの廣瀬、内原の5名である。

ハノーバーのホテルを朝4時に出発し、6時30分にハノーバー空港出発。

パリドゴール空港で5時間の乗り換え時間なので、
パリの中心にある日本人街に行った。

パリを出発し、カサブランカに着いたのは、夕方5時だ。

さらに乗り換えて、モロッコのアガディール空港に着いたのは、
夜の8時過ぎである。

そこからレンタカーを借りてアパートに着いたのは、
夜の11時過ぎだ。

禁酒の国なので、ハノーバーでクロアチア人に頂いた45°の酒を飲んで、
翌日に備えた。

アパートは、2LKに野郎5人で雑魚寝である。
僕は、4日間、ソファに固いタオルケットをかけて寝た。


そいえば、レンタカーを借りるのに
現金で約50万円の預け金が必要である。
そりゃ、そうだ。
車が盗難されるのが多いんだろうなぁ、と思った。
だって、車を借りて、隣の国に砂漠越しに行ってしまえば
わからんもんなぁ・・・・


翌日から、サーフィンである。
どんな国にもサーファーはゴロゴロいるものだ。
モロッコに来たからといって空いているわけではなかった。
おかげで、僕と野上さんは、他のサーファーから、撃墜を受け、
野上さんは腰、僕は腹に見事な痣が出来た。

しかし、モロッコのサーフィンは楽しかった。

DSCF8947_R.jpg

昨年のポルトガルもよかったが、モロッコのイメゾーネという村のスポットは、
廣瀬国松に「人生最高のライド」と言わせる超ロングライドが経験でき た。

野上さんも、岡崎さんもOさんも国松も超ロングライドだが、
僕は、3~5秒でこける。


来年は、ガーナか、セネガルか、モザンビークか?

NCネットワーク・サーフィン部の冒険は続きます。

14:28 | コメント (0) | トラックバック